1月29日 07:02
わたしが研修を終えて本格的に業務に従事し始めたのは6月のことである。業務を行ううえで必要な免許が下りたのだ。
ここで私が始めたのは営業活動であったが、それはまず電話でアポイントメントを手に入れて初めてできることであった。必然的に私は一日の半分近くを電話にかじりついて過ごしたことになる。
はじめのうちは一日に200件、慣れてきたころには一日に350~400件かけていた。350として一週間で350×5の~……数えたくもない、たぶんおそらく2000は超えるだろう。
そして電話以外の業務時間、休憩時間は営業のロールプレイ、実際に客先に行ったときにどうするかを練習、ないし考察していた。
「できないうちは誰よりも努力するものだ」
休憩時間をロールプレイの組み立てに使う人が出てくるのも納得がいく、不自然でない社内環境であった。
デスクでスマホを弄っているとソシャゲのソの字も知らないジジイから雑な辛みが飛んでくる、喫煙所に逃げるためにタバコを吸い始めるのに時間はかからなかった。
「できないうちは誰よりも努力するものだ」
休日明けまでにこれをできるようになってこい
家に仕事の資料を持って帰ってロープレの組み立てをすることは普通であった。
当然休日や退社後の時間がつぶれるほどの難題はなかった、とだけ言っておく。
8月の終わるころには家には仕事の資料が散乱していた。私が掃除や整理、整頓の類が苦手というのが原因のほとんど大半であることは内緒にしておきたい。
そんなときに友人を一人、家に泊めた。金曜の、最高の社での飲みの後、アテナに寄った際に引き連れた。ゲームバー、のちに我が家、つまりは社員寮、そしてドラクエ11。
その翌日、泊めた友人と遊び、その日は友人の部屋に泊まった。
友人の部屋はオタク部屋だった。
特にフィギュアが目立つわけでもタペストリーポスターが貼ってあるわけでもなかったが、とにかくゲームや漫画が多かった。
自分はこういう生き方がしたかったと、心底思った。部屋に好きなものを集めて、棚に飾って、そういう部屋に住みたい、そういう部屋を作りたいと思った。
それからしばらくは本集めを続けた。実家にいたころに読んでいた漫画の続きを買った。とらのあなやメロブをはしごし、好きな本を買いまくっては目につくところへ並べて、置いた。普段レンタルで済ますAVも中古の奴を何本か買ってそろえた。見た記憶はない。再生せずに捨てた。
自分が好きなものは、言うほど好きなものでもなかったので、収集コレクトはすぐに終わった。
たぶん、同じころ、友人とカラオケの際に、BUMPの曲を聴く。
BUMP、存在は知っていたが音楽に関心が薄い私は天体観測くらいしか知らなかった。
初めてそれ以外のBUMPを聴いた。
ほかの曲も聴き漁った。
私は、BUMPのおかげで、なんとか生きている気がした。たぶん無くても生きていたと思うけど、なぜだかそう思う。
秋口、仕事のほうはどうかというと、病みかけていた。なにが結果につながるのかわからずがむしゃらで、私よりも愛嬌がある器用な同期はどんどん数字をあげていっている。上司もその同期につきっきりであった。
あまり頼りない先輩に頼り、質問し、なんとかしたいと思っていた。
冬に少し、結果が出た。あまり私は頑張ってない、上司が拾い上げた一件だった。
周りは祝福してくれたが、なにもうれしくなかった。なにがおめでとうだ詩にさらせ。
「おめでとう」
「これから頑張ります」
「ははは、じゃあ今までは頑張ってなかったんかい、はははははは」
さぁここで悲劇のピークである。
この営業は電話でアポイントを取ることから始まる。だいたいの人間が月に5,6件、新人は「行って勝負になるかどうか」が重視されなかったので、つまり簡単に外に出られたので、新人とベテランで大きく差が出ることはなかった。
私は二か月まるまるアポが取れなかった。
一件は取れてたかもしれない、忘れたが、たぶん勝負にならなかったから忘れたかもしれない。坊主は坊主だ。
かなり、そうとう病んだ。
私が坊主をこいてる間に周りはなんとかアポを取り続けている。
どうなってるんだ
本当にあのとき私はどうなってたんだ、意味がわからん
とりあえず存在が後ろめたくなってきたのがそのころ、1月の半ばである。意味がwあからん。
成果が出ません、なんとかします
そんなこんなで、運命の日のちょっと前、1月24日である。
私の誕生日である。
会社は、私にケーキを用意してくれたのである。
全員の誕生日に、それは送られる。プレゼントも送られる、私はネクタイをもらった。とにかく誕生日であった。
会社でのケーキ、私は、それは、それは、嬉しそうに喜び、楽しそうに食べた。糞が。死んでしまいたさが高まる。限界は、たぶんそのころ。1月24日、水曜日
その週の金曜日、私は外回りの準備をするように言われた。私はアポがとれなさ過ぎて、一日をかけて外回りをするように言われた。
私は、なんとなく、心が死んでいたので、特に喜びも悲しみもせず、淡々と準備をそろえた。
自分の顔写真つきの会社の宣伝文、ビラ配りみたいな、ポストに入れて回って、翌日以降に電話をかける、その準備、印刷、地図の準備、宣伝文句の考案、土曜日、日曜日、遊んで、そろえて、月曜日
月曜日、朝
私の会社は7:30出社なので7:15分に家を出ないと間に合わない。いつもは6:30には起きていた
1月29日、月曜日、7:02分
ベッドの中、体が動かない
そうだ、精神科に行こう
スマホから夜でもやっているメンタルクリニックを検索、翌日、1月30日、火曜の20:00に予約を入れた。
特に、眠れなかったわけじゃない、ただ、つらかった
医者には眠れない、鬱だと言った。医者はただの薬屋だった、別に話を聞いてほしいわけでもなかった。すべて自分の怠慢だと思ってたし、そんな懺悔室みたいな話を他人にする気もなかった。
睡眠薬と抗不安剤。眠れるけど、抗不安剤の効果はなかった。不安がどんなメカニズムで消えるか想像できなかった。
仕事を辞めるくらいなら死のうと思っていた。
いや、辞める=同期に対して負けを認めることだと思っていた。それは嫌だった。なんなんだ。
「勝敗がつけば終わるなら負けを選んで、それでも息する」
「生まれたらどうにか生き抜いて」
とりあえず、2月6日、限界が来る。限界だった、内臓に重力がかかっていた。体が重かった。
辞めると言ったら、上司は少し驚いてたか?わからなかった。他人の表情がよくわからなくなっていた。
軽く説得された気がする
薬屋の診察時間までに話を切り上げたかった。また後日、結局その翌日だったが、再度話し合おうということになった。
上司は、私の限界と感じた話を聞くと、いろいろぶっちゃけた。
ほかの同期のアポなんてクッソ軽いぞ、意味もないものだった。
俺があいつばっか目をかけてるのは、ひとまずあいつを上にあげてからお前の面倒をみるつもりだった。
俺のアポも軽い奴ばっかだ、この前2時間話したって商談あっただろ?あれ実は会えてすらいないんだよね。
こんな感じだった気がする。
そうなんですか安心しましたもう少し頑張ります
辞めます。